「ブラフ」という言葉を知っていますか?
この言葉が市民権を得始めたのは最近のこと。
ブラフ=bluff
戦略的なはったり、空威張り、ホラ吹き
などの意味だそうだ。
営業や商談で、有利なポジションをとるためのブラフ。
ある程度戦略的なブラフならば、多少のホラは許されるといった
ところもなきにしもあらず。
ビジネス用語としても使われるようになった。
某国の某大統領がブラフを多発したのは記憶に新しいが、
そのブラフを見抜けない人が多いことに驚いた。
ブラフ(ウソ)が当たり前の世界になると、
人が人を信じられなくなり、どんどん悪い方向に流れていく。
一定以上の知性があるはずの人たちの間で、
不思議なほど「陰謀説」が広がっていく。
中国の戦国時代の思想家の荀子(じゅんし)は、
人の性は悪なり。その善なるは為なり。=「もともと人の本性は悪(弱いもの)で生まれてきたが、生まれたあとの教育によってその心を善に変えることができる」
と説いた。
実は「知善説」の人なのだ。
現代になって、誰もが平等に教育を受けられるようになり、
道徳の授業も増えてきたのに、
どうして「悪」は消えないのだろう。
そして、「ブラフ」を見抜けないのだろう。
世の中の流れが、
「ちょっとした悪はOK」となっていないだろうか。
たとえば、
・出張に行ったときのマイルは自分のものにしてOK・いただきものをメルカリで売るのはOK
・gotoキャンペーンのクーポンをもらって使うのはOK
・ちょっとしたうわさ話を他人に面白く話すのはOK
・不機嫌なときには話しかけられても返事しないのはOK
など、このへんの知性は裏ワザ程度として
許される範囲のものだろう。
それが、
などになると、
それはもはや「悪」だ。
自分ではちょっとした知恵を働かせたつもりが、
知らず知らずのうちに、どんどんと悪の道に進んでしまう。
ウソがウソを呼び、ブラフがブラフを呼ぶ。
今、その流れが加速していることが恐ろしい。
もう一回、立ち止まって考えたい。
「知性を《善》のために使う。」
それには、強烈な意思の力が必要だ。
生まれつき善か悪かは関係ないのだ。
知性を《善》のために使う。
そのことを毎日一回、考えていきたい。
一日一善とはいうけれど、
なにも善な行動はできなくてもいい。
ただ、
「自分の知性を《悪》の方向に使わない。」
その決意があるだけで、世界は良い方向に向かっていく。