私は女の子と男の子、両方育てていますが、
男の子をみていると、
「あーーこんなふうにストレスなく過ごすんだ」
ってちょっとうらやましくなる。
女の子は、小さな頃から、「髪の毛ちゃんととかしてから」
「服がずれてるよ」とか身だしなみチェック、
そして変な人に会ったらという恐れから、
「何時に帰る?」「帰る時間にお迎え行くから」「絶対ひとりで歩いちゃダメよ!」
という確認が入る。
男の子はTシャツと短パンをざっと着て、そのまま自転車で
「行ってきまーす!嫌になったら帰ってくる」
とざーっと公園でもどこでもでかけちゃう。
ちょっとの違いのようでいて、大きく違う。
私のときもそうだったのかなぁ?
この「女性に生まれた」から生まれたほんのちょっとの「不自由」さ。
これが「女性に生まれた」ことの「凹」なのか。
本人には何も関係なく、社会的に作られた「不自由」さ、だよね。
「女性として生きる」ことは、この「不自由さ」を乗り越えることだと思っている。
だから、この不自由さこそが、女性にとっての「凸」にできると信じてはず。
実際に、見ていると女の子のほうがみんな強いな−。
男子は自由なようでいて、いつもどこか臆病な感じがします。
この「男性と女性の凸凹」についても、少しずつ思うところも書いていきますね。