25年ほど前に、サハリンを旅したことがあります。
サハリン?
そう、北海道のさらに北にある島です。
昔は日本領であったこともあるんですよね。
私が訪れた当時はソ連からロシアに変わったばかりのときで、
ほとんどの道路は舗装もされず、凸凹の砂利道でした。
凸凹だらけだと、車もそんなにスピードも出せない。
ゆっくりのんびり、人々の時間は過ぎていくようでした。
凸凹道を走るバスの中では、まったく知らない人たちなのに、
ひとりが歌いだした歌に反応して、みんなが歌い出し、
大合唱になっていました。
日本に戻ってきて、ほとんどの道路が舗装されていて、快適!
やっぱり舗装っていいもんだなーと。
そんなふうに思ったのもつかの間で、
今度はほんのちょっとした凸凹が気になる。
便利になって、スピードを出せるようになった分、
小さな凸凹が目立つんですよね。
ああー、実は凸凹って、なくそうとするとかえって目立つんだな。
道路の凸凹は、もちろん、ないほうがいいのかもしれない。
でも、人間のなかの凸凹は、
そんなになくそうとしないといけないものなのかな?
いま、「発達障害」の話が非常にクローズアップされていて、
「発達障害」外来はいつも予約でいっぱいだそうです。
でも、100年まえ、50年まえの日本にも、
味のある砂利道みたいな人が
きっとたくさんいましたよね。
だから、子どもが道で「わー」って声をあげたからといって
気にする人もいなかった。
私たちは、心の中の凸凹を、なくそうとしすぎてるような気がします。
凸凹道でも、曲がった道でも、ゆっくり、歩いていい。
ときにはみんなで大合唱したって、いいんじゃない?