まるでなにかの怪人みたいですが、
こんな言葉、聞いたことがある人いるかな?
昭和の頃にいっとき流行した言葉です。
もともと、ドイツの社会科学者テンニース(1855-1936)という方が提唱した概念で、
人間が所属するコミュニティは、
地縁や血縁、友情で深く結びついた自然発生的な「ゲマインシャフト」(Gemeinschaft、共同体組織)と
利益や機能を第一に追求する「ゲゼルシャフト」(Gesellschaft、機能体組織、利益社会)の2つに分けられる。
で、人間の近代化が進めば進むほど、機能や役割が重視された「ゲゼルシャフト」が人為的に形成されていく。
もともと農村は、「ゲマインシャフト=つながり」の世界。
生まれてからずっと同じコミュニティに所属して、顔を知ってるだけでなく
「こういえばああいわれる」ということまで全部知っている。
そのコミュニティには、温かさもあれば、窮屈さもあるわけで。
だからこそ、昭和時代は「ゲマインシャフト=つながり」の窮屈さから脱出して、
都会に「ゲゼルシャフト=役割」の気楽さを求めていったのでしょうね。
でも、一方で、今の日本は、近代化すればするほど、
都市はほとんど「ゲゼルシャフト=役割」になっている。
学校、職場。
そういうところはまさに「機能体組織」。
利害関係でつながり、役割でしか生きていないような気がします。
レストランの店員やJRの職員に逆ギレしたり、お客様相談窓口にクレームの電話を延々とかけてしまうのも、相手を人間ではなく「機能・役割」としてみているから。
そんな関係がすべてになると、だんだん自分が歯車の一部になってくるようで、「気楽」だったはずが、すさんでくる。
もともと「家庭」というのが、基本の「ゲマインシャフト=つながり」の砦であるはずなのに、その「家庭」さえも「機能・役割」の場ととらえて
「勉強しなさい」
「身ぎれいにしなさい」
「あなた、ボーナスちゃんともらってきたの?」
「たまに家にもどってきたらなんでこんなに散らかってるんだ!」
などなど、
「役割」の言葉ばかりを投げつけていくと、
どんどん「家庭」も「ゲゼルシャフト」化してしまいます。
私は実は都会生まれで、「ゲゼルシャフト=役割」の世界にいました。
今は、田舎暮らしをしていて、どっぷりと「ゲマインシャフト=つながり」の中にいる。
よくいわれるマイルドヤンキーの世界は、めっちゃくちゃあったかい「ゲマインシャフト」のコミュニティなんです。
今大人気の芸人のEXITさんをみていても、あー新しい世代は、「ゲマインシャフト」の感覚を上手にコミュニケーションに使っているんだなーと感じます。
どちらの世界もみていて、痛感することは、
どちらも一長一短。
どちらも凸凹。
そして、どちらも大事なんですよね。
今は、インターネットがどんどん普及しています。
このことで、
田舎で有機的なつながりの中で暮らしながら、インターネット上の有益な情報だけをもらうことができるようになったし、
都会の役割・機能組織の中で暮らしながら、インターネットの中に「心のつながり」をみつけることもできる。
この令和の時代は、
「ゲマインシャフト」か「ゲゼルシャフト」か、
ではなく、
「ゲマインシャフト」も「ゲゼルシャフト」も、
という時代にしたい。
そして、人の心の中にも「ゲマインシャフト=つながり」と「ゲゼルシャフト=機能、役割」が同居していていい。
そして、自分のいる組織が「ゲマインシャフト=つながり」を大事にしている組織か、「ゲゼルシャフト=機能、役割」を大事にしている組織か。
それを言葉にして心のなかにしっかり認識しているだけで、
今あなたがいるコミュニティを、素敵なものに変えられるかもしれません。