あなたの毎日に凸凹を。

ノイズに埋もれた毎日を送っていませんか?

自分の凸凹を知るために。

いろいろ「凸凹」のお話をしてきましたが…

 

では、どうやって自分の凸凹を知ればいいの?

 

そんな問いかけが聞こえてきそうですね。

 

それがまさに、「ストレングス・ファインダー」というツールです。

よくある占いのように、「こういうときはどう思う?」といった質問に

答えていくと、あなたの「ストレングス=強み」がわかるのです。

 

詳しくはこちらのひであきさんのブログがおすすめです▽

ameblo.jp

 

私はこの診断をする前は、「じくじくうじうじして考え込んでしまう自分」が嫌でした。

きっとストレングス・ファインダーを受けると「内省」と「共感性」が高いんだろうな、と思っていました。

 

しかし、実際診断をしてみると、まさかの「達成欲」「収集心」「最上」「アレンジ」「自我」という項目がトップ5に!

 

これどういうこと???

 

そう、自分で感じている「自分の強み」って、自分ではまったく意識していないんです。

 

「得意なこと」に自分から気がつく人っていないんですよね。

 

でも、このストレングス・ファインダーではそれに気づかせてくれるのです。

 

自分の「得意なこと」、ぜひみつけてください。

 

どこかにひとつ、線を引く

パリの街って、とっても絵になりますよね!

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パリの街

建物ひとつひとつをよーく見ると、表にはいっぱい装飾の彫刻が施してあり、

わりと凸凹している。

一階のカフェの店構えはカラフルだし。

それぞれの建物の存在感を思いっきり主張してるんです。

 

でも、街全体に統一感がある。

 

実は、パリは街並みに規制をきめていて、建物の高さと色と、パルコニーの位置をそろえているんです。

 

逆にいえば、それさえ守ればなにをやってもいい、ということ。

 

統一感と、凸凹感が同時に存在しているのです。

 

いっぽうで、日本のビルは、というと、ご存知のとおり面白くもないツルッとしたビルで、しかも、統一感がないので街並みがバラバラ。

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日本のビル

建物それぞれにはつるつるを求めながら、街全体は凸凹しているんです。

これって変だよね?

 

だから、私は凸凹をつるつるにするのではなく、

「どこかにきちんと線を引く」

ことが大事だと思っています。

 

それはほんとうに些細なことでいい。

「朝起きたら「おはよう」という」

とか、

「お昼ご飯はお弁当にする」

とか。

 

なにか自分の中できちんと決めた「線」さえ守れば、

あとは凸凹でもいいのよね。

 

他人におしつけられる「つるつる」より、

まず先に、自分の中の「線」をいっぽん、ひいてみよう。

 

 

えんぴつ1本で人生が変わる

どうしても開かない引き出しってありませんか?

ガタガタ開けてみるけど、なかなか開かない。

意外と、えんぴつがたった一本ひっかかっていただけだった。

 

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たった一本のえんぴつ
そう、心の中に、開かない引き出しがある。
 
ものすごーく昔に、人に言われたひとこと。
それが心のどこかにひっかかっていて、
もう開けるのが嫌になってしまっている。
 
自分でガタガタと無理にこじ開けようとする。
でも、引き出しは壊れそうになって、まったく開きそうにない。
 
もう自分の力では開けられない。
心の中で絶望する。
 
でも、そこに、もう一本のえんぴつを持った誰かが通りかかる。
 
今まではずっとスルーしてきたけど、もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。
 
「この引き出し、絶対開かないんですよ」
勇気を出して言ってみる。
 
「ああ、簡単ですよ。これはこうやればいいんです。」
その人は、引き出しの細い隙間からえんぴつを差し込んで、ひっかかってるえんぴつを取り外す。
いとも簡単に、あっけなく、引き出しは開く。
 
誰かに助けを求めてみよう。
誰かが、あなたにえんぴつを貸してくれるかもしれない。
 
そして、身の回りの誰かが、身動きがとれなくなっていることがありませんか?
そんなときは、あなたの一本のえんぴつで助けてあげよう!
 
もちろん、えんぴつじゃなくてもいい。
定規でも、コンパスでもいいかも。
あなたなら助けられるかもしれない。

凸と凹の違い

凸凹のことを書き続けておりますが、

そもそも「凸」と「凹」って違うの?

 

一般的なイメージとしては、

凸=男性的 攻撃的 多動で衝動的 躁的 落ち着きがない テストステロン系

凹=女性的 保守的 おとなしくて内にこもる 鬱的 じっとしている オキシトシン

という感じがありますね。

 

では、男の人が凸で、女の人が凹なのか?

 

というと、そういう感じでもなくて。

 

誰の心の中にも凸凹ってありまして、

男性的な攻撃的な自分と、女性的な内気な自分とが共存している。

 

たぶん、自分の中の凸凹が気になるときって、

凸っちゃいけない空気のときに凸ってしまって、

凹っちゃいけない環境で凹ってしまうだけで。

 

たとえば、じっとしていなければならない授業中に、

落ち着きがなくなって歩きだしてしまうとか。

 

また、みんなが自分が発言するのを注目しているときに

ひとことも言えなくなってしまうとか。

 

結局のところ、凸凹のタイミングがわからなくなったときに

凸凹が気になるのかなーと思っています。

 

大事なことは、誰もが凸凹を抱えていて、

それに気がつくかどうか、

なんですよね。

 

 

 

凸凹はなくそうとするから目立つ

25年ほど前に、サハリンを旅したことがあります。

 

サハリン?

そう、北海道のさらに北にある島です。

昔は日本領であったこともあるんですよね。

 

私が訪れた当時はソ連からロシアに変わったばかりのときで、

ほとんどの道路は舗装もされず、凸凹の砂利道でした。

 

凸凹だらけだと、車もそんなにスピードも出せない。

ゆっくりのんびり、人々の時間は過ぎていくようでした。

凸凹道を走るバスの中では、まったく知らない人たちなのに、

ひとりが歌いだした歌に反応して、みんなが歌い出し、

大合唱になっていました。

 

 

日本に戻ってきて、ほとんどの道路が舗装されていて、快適!

やっぱり舗装っていいもんだなーと。

そんなふうに思ったのもつかの間で、

今度はほんのちょっとした凸凹が気になる。

便利になって、スピードを出せるようになった分、

小さな凸凹が目立つんですよね。

 

ああー、実は凸凹って、なくそうとするとかえって目立つんだな。

 

道路の凸凹は、もちろん、ないほうがいいのかもしれない。

でも、人間のなかの凸凹は、

そんなになくそうとしないといけないものなのかな?

 

いま、「発達障害」の話が非常にクローズアップされていて、

発達障害」外来はいつも予約でいっぱいだそうです。

 

でも、100年まえ、50年まえの日本にも、

味のある砂利道みたいな人が

きっとたくさんいましたよね。

だから、子どもが道で「わー」って声をあげたからといって

気にする人もいなかった。

 

私たちは、心の中の凸凹を、なくそうとしすぎてるような気がします。

 

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農村の道


凸凹道でも、曲がった道でも、ゆっくり、歩いていい。

ときにはみんなで大合唱したって、いいんじゃない?

 

 

 

「無」から「有」を生み出せる人

「子どもを産んで一人前」

みたいなことを平気でいう人、いますよね。

でも、子どもを生むだけなら、人間以外のすべての生物だって、

みんなやってます。

ネズミだって、オケラだった、アメンボだって。

 

「無」から「有」を生み出せる人が一番偉い、と前に書きましたが、

 

「誰かに何かを教育する」

というのは、お産よりも大変なことで。

 

東村アキコさんのマンガ

「かくかくしかじか」

に出てくる「先生」は、まさにその「教育」者なんですよね。


https://goo.gl/DPTZNV

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かくかくしかじか5巻

「先生」は、学校の先生ではなく、市井の、一介の絵画教室の「先生」だ。

でも、誰よりも熱く、厳しく、生徒たちを鍛える。

 

白いカンバスに向かうときは、誰でも怖くなる。

ちゃんと描けるだろうか。

自分には才能がないのではないか。

こんなことやって、なんになるのだろうか。

 

それを、「先生」は

「描け」

のひとことで、背中を押す。

 

「無」から「有」を生み出す瞬間の「恐怖」と向き合い、

そのあとの自分の技術のなさという「現実」に向き合い、

そして、それでもなにかを生み出した、という「快感」に向き合う。

 

そのことに背中を押してくれる「先生」に出会える人は、

ほんとうに幸せなのだ。

 

「先生」は、東村アキコさんをはじめ、たくさんの教え子たちを

生み出した。

そういう、名もなき「先生」が、ずっと古代からいたからこそ、

人間たちは今に文化を生み出してきたんだと思います。

 

それは、実は「お産よりも尊い」、

人間にしか出来ない技なんでしょうね。

 

そう、「描け」。

そして、「書け」。

 

そう、なにかをゼロから生み出さなければ、なにもはじまらない。

 

 

 

 

 

所属する場所を変えてみる。

実は、常々不思議に思うことがありまして。

 

たとえば、運動会。

先生の気まぐれで、あるいは出席番号順だったり、足の速い順番だったりで、

「君は赤組」「君は白組」と決められてしまう。

 

なのに、たとえば「君は赤組」と言われた瞬間に、

なぜか「赤組」が勝つことをめざしてしまい、

「赤組」の仲間のことを好ましく感じ、

「白組」に入っている人が嫌になったりする。

運動会の最後で「赤組優勝」!と言われると大喜び。

そして、「白組」に負けたら、がっかりしてむせび泣く。

 

でも、ちょっとまって?

 

もしなにかの気まぐれであなたが「白組」になってたら、

勝った組に(あるいは負けた組に)なっていたかも?

 

どうして、たまたま所属していた組が

勝ったり負けたりしただけで、

一喜一憂してしまうんだろう?

 

これは運動会の話だけど、それだけではなく、

たまたま通っていた学校が合わないこともある。

所属する部活動がいつも負けてしまうこともある。

就職した会社に全精力を注いで仕事をしても、結果が出ないことがある。

地域のコミュニティで、なぜか浮いてしまうこともある。

 

それって、実はあなたが悪いわけではない。

 

「所属する場所」を変えてみるだけで、

驚くほどぐるりと風景が変わることだってあるのだ。

 

あなたが、自分の凸凹を生かせなくて、息苦しさを感じるときは、

所属する場所を変えてみよう。

 

あなたの凸凹にあった場所が、必ずどこかにはあるのだ。