あなたの毎日に凸凹を。

ノイズに埋もれた毎日を送っていませんか?

世の中には「捨て駒」なんてない


 

前に、すごく優秀な小学生の男の子と将棋をしたことがあります。

彼は、王様の周りをぐるりと守る戦略。

いわゆる「穴熊」戦略です。

 

穴熊戦略にもいろいろあります。
 

彼曰く、

「だって、自分(王様)は大事なんだから、大事なコマたちで守ってもらうことって大事だよ!」

 

…はい、まったくもってまっとうなご意見でございます。

 

 そしてもちろん…完敗しました(涙)

 

 

 こういうのって、将棋の世界では常識ですが、

人生の中には、「穴熊」戦略がよくわかってらっしゃらず

知らないうちに「捨て駒」戦略になっている方もけっこういらっしゃいます。

 

 
 「嫌ならやめればいい」 「代わりはいくらでもいるんだから」 「お前みたいなのより優秀な人材はたくさんいる」 「俺のやり方が気に入らないなら出ていけ」…。
 

 そんなことを家族や部下、従業員にすぐに言ってしまうタイプの方たちですね。

 

 ちょっとでも気に食わないことがあると、すぐに身の回りの人を「捨て駒」扱い。

 

 その代わり、遠くの誰かの持っている駒が、すごく欲しくなってしまったり。

 

 おーい、あなたの今の持ち駒で、誰かの飛車をとることなんて、できないんですよー!

 いい加減気がついてーーっ。

 

 …っていいたくなる。

 

 

 違いますよね。

 

 自分の周りの駒をよーく見てみれば、

 まっすぐしか前にしか動けない「香車」タイプの人。

 全方位オールラウンダーだけど、一歩ずつしか動けない「金将」タイプの人。

 なぜか斜めにしかいけない「角」タイプの人。

 

 それぞれにそれぞれの凸凹な特徴があるんです。

 

 だいたい、あなたが怒っていたのだって、「角」タイプの人に、

香車のようになぜまっすぐいけないんだ!」

 っていう単なるむちゃぶりだったのではないですか?

 

 自分の奥さんが、オールラウンダーの「金将」タイプだというのに、

 その素敵な奥さんに対して

 「どうしてお前は桂馬のようにひらりと困難を乗り越えられないんだ」

 「たまには銀ちゃんみたいに斜め後ろに下がってみろ!」

 なーんて言ってませんか?

 おかげですてきな奥さんが萎縮して、将棋盤の奥で動けなくなってる、というのもありがちです。

 

 自分の周りにいる駒の凸凹をしっかり見ぬいて、この駒にはこの駒に合った仕事をさせる。

 できるだけ大事な駒は自分の周りをしっかり守ってもらって、

 簡単に相手にとらさせない。

 歩兵だって、大事にしていればいつか「と金」になる。

 

 相手を攻めていくときには、1つの駒だけでは無理。

 たとえば「角」ににらみをきかさせて、「桂馬」と「銀」と、そして「と金」と。組み合わせることこそで、無敵になるんです。

 いくつかの駒をつかって、「これをとったら次もあるんだよ」と相手に怖がらせることが必要なんですよね。

  

 

 そして、こちらのブログにありますが

https://yaneurao.hatenadiary.com/entry/20140114/p1

 

 プロの棋士の世界では「捨て駒」という概念そのものがないんだそうですね。

 

 初手の1手から、全てに意味があり、それが最終局面で生きてくる。

 もし捨て駒があるとしたら、次のようなやりとりがあるときだそうです。

 

王様「すまない、お前たちの命、大切に使わせてもらうよ。本当にすまない。本当に…」捨て駒たち「いいってことよ。気にすんなよ。俺たちは誰もが王様がどれだけの代償を払って自分たちのことを良くしてくれたか本当に知っている。俺たちのうちの誰も王様のことを恨んだりなんかしないさ。それどころか俺たちのための大舞台を最期に用意してくれたんだからな。俺たちの働きっぷり、とくと見ていてくれ。死に物狂いになれば、俺たち、いつもとは違うほど働けるんだぜ?」王様「お前たち…」

 

 

 そうそう、この世には「捨て駒」なんてないんですよね。

 

捨てるべきではない大事な駒をどんどん捨てていって、

最後に残った駒だけで自分の身の回りを固めて満足しているつもりの方々…

そうすると、いざというときに自分を守ってくれる味方がいなくなってしまいます。

逆に、今まで捨ててきた駒が、あとになって敵として向かってくることさえあります。

 

それは、要するにこういうこと。

「裸の王様」

というやつですね!(きつい)!

 

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裸の王様、これでも強い人は勝てるらしい

 

そうなりたくないのなら、もうちょっと自分の身の回りを大事な駒で固める「穴熊」戦略を学んだほうがいいと思います。

もちろん、「穴熊」が全てではありませんし、もっとさまざまな必勝戦略があります。

はい、私も桐山零くんに弟子入りしまーす。(はやく最新刊でないかな…笑)

 

 

 

 

 

 

 

E→S→B→Iの行き着く先は…?

今年、大きく話題になった事件のひとつに、「あおり運転」がありましたね。

悪質なあおり運転で逮捕された容疑者。

そういうニュースを耳にすると、つい「なんの仕事してる人なんだろう?」って興味津々になっちゃいます。

なんと、今回の容疑者、「不動産収入」で暮らしている、のですよね!


 私はもともと、ロバート・キヨサキさんの「金持ち父さん貧乏父さん」の本が大好きで、何回も繰り返し読みました。

  

 その「金持ち父さん…」の本の中で、繰り返し説かれているのが、
E(雇われ人)→S(自営業)→B(ビジネスオーナー)→I(投資家)
を目指そう、という人生設計です。

 

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 この本の中では、不動産収入、利息収入、印税などの「不労所得」を得られる
「I(投資家)」になることが理想であると何回も説かれます。

 

 そして私自身も「I(投資家)」になることを夢見ていろいろやってきました。

 

「I(投資家)」になったら働かなくても食べていける!
それってどんなに素敵なことだろう!
家事も家政婦さんを雇ってやらなくてもいいのかな?
空いた時間でなにをしよう?
ずっと遊んでられる?旅行三昧?最高!!


しかし、そういうふうに「I(投資家)」をめざしていく過程の中で、
この世の中のさまざまな人と出会って
ふと気がついたことがあります。

 

「I(投資家)」になってしまうと、
根本的な「他人への思いやり」を失ってしまう人が多い
ということです。

 

人間というのは、稼ぐ稼がないは別として
家事や子育ても含めて、なんらかのコミュニティの中で「働く」ことを通じて、
他人への根本的な「思いやり」を身に着けていく、生き物なんです。

 

それが、働かなくていい「不労所得」で食っていける、と感じた瞬間に、
「人への思いやり」を忘れがちになってしまうのです。

 

このあおり運転を繰り返した容疑者なんて、まさにその典型で。

 

他人への思いやりを忘れて、逆に名もなき第三者に恐怖を与えて
快感を得るようになってしまったらおしまいです。
実際に、彼には、「世間からの厳しいバッシング」というきつい罰が待っていました。

 

このことは、ほんとうに奥深いことで。
世の中の「I(投資家)」の人が、みんな薄情だ、というわけではなく、
とても素晴らしい方もいらっしゃいます。

 

ただ、非常に意識していかなければ、ならない。
小さくても傲慢なふるまいが積み重なっていくと、人生の収支では必ずきつい罰が待っています。


E→S→B→Iのめざす、さらにその先には、
E(Empathy(深い思いやり)」→「R(Respect(他人の人権を尊重すること)」
がある。
これがなければ、真の幸せも成功もありえない。

 

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そしてまた、

「E(労働者)」であっても、人を思いやり、尊重することが大事であるし、それを身につけていれば、
思いやりのない「I(投資家)」よりも、何倍も幸せで成功しているといえるでしょうね。

 

 

改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 (単行本)

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「信じる」の反対は「疑う」ではない

「あした、○時に来るのー?ちゃんときてよね!」
なーんて言い方をしたときに、
「なんだと、俺を疑うのか?」
と逆ギレする人っていますよね。
そういうふうに逆ギレする人って、だいたい心にやましいことがあったりする人です(笑)
そう、「信じる」の反対が「疑う」と思っている人なのです。
 
でも実は、
「疑う」というのが生き物のデフォルト(基本設定)
ではないでしょうか?
 
 
もし、あなたが森の中で道に迷ったとします。
 

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森の中で迷った!
そのときに、ガサガサっと音がしたら「なにか怖い生き物かも?」とまず疑いますよね。
 
そして、それが怖い生き物ではなくて、人だったとしたら、
まずはその人をじっと観察します。
「変な人ではないだろうか?」「人さらい?もしくは逃亡犯かも?」
といろいろ疑いをめぐらせますね。
もし、きちんとパトロールの服装をしていて、「おーい」と声をだしていたら、
「あ、もしかして自分を探しに来た人かも?」
と気がついて、
ようやく「ここだよ」と声をあげることができる。
「信じる」までに、ちょっとの時間差があるんですよね。
 
 
そう、生き物の本能として、「疑う」が根っこにあるわけで。
 
その「疑う」気持ちを根っこに持ちながら、
たくさんの情報を集め、その相手と気長に対話をしながら、
はじめて、「信じる」か「信じない」かを決める。
 
そう、「信じる」の反対は、「信じない」。
 
疑って、情報を集めた結果、
あなたには、「信じない」という自由もあるんです。
 
 
一方で、もし、あなたが大海原でひとり、漂流していたとします。
 

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大海原
 
そしたら、そこに船が通りかかったら、
「怪しい人かも?」
「もしかして海賊かも?」
と疑う余裕もなく、
「おーーいここだよーー!助けてくれーー!」
と声を出すことでしょう。
 
そしていざ助かったときに、多少のお金を要求されたとしても
「命の値段には替えられない」
とその恩人にお金をたくさん払うでしょう。
 
そういう場合は、「信じる」という選択肢しか、目の前にないからです。
 
オレオレ詐欺などで、お年寄りが簡単にだまされてしまうのも、
きっと、大海原にひとりぼっちでいるように孤独だからなんですよね。
 
だから「疑う」という大事な根っこを忘れてしまう。
大事なことは、
「疑うことができる」という心のゆとりを
しっかり持つことだと思います。
 
そして、「疑うことが悪い」と思い込んでしまうと
とたんにこの世界で生きづらくなります。
疑うことは悪いことではない。
「疑うこと」が人間の基本であるからです。
 
…そして、逆に。
 
「人に疑われた」と感じた時は、なにか自分の側にも情報不足だったことがあるのではないか?
 
野良猫の可愛い子猫がいて、手なづけようとするときも、
まずはものすごく遠くにミルクを置いて、
それを少しずつ近づけて「なにも悪いことしないんだよ」と信じてもらってから、
ようやく触ることができる。
いきなり追いかけたりすると、必ず逃げられます(苦笑)
 

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子猫をてなづける!
 
そういうふうに、相手と向き合ってしっかり対話をかさね、信頼関係をもっていくこと。これしかありません。
 
「疑う」の先にあることこそが、「信頼」なんですよね。
 
最初は「疑い」からスタートしたとしても、
少しずつ、少しずつ、お互いに「信頼」できる関係をつくれる仲間が増えてくると、
この世界は、とっても楽しいところになるはずです。
 

花が咲く瞬間を、誰も見ることができない


ほんとうに不思議に思うんだけど。

 

いくら目を凝らしていても、

芽が出る瞬間を見ることはできない。

葉が開く瞬間を見ることはできない。

花が咲く瞬間を見ることはできない。

 

気がつけばそこに、前からあったかのように

芽は出ていて、

葉は緑になり、

花が咲いている。

 

美しい花が咲いていたとき、

人は、それを「キレイだ」としか

みないのだ。

 

でも、誰かが(あるいは天の神様が)、

土を耕し、肥料を与え、

種をまいて水をやったからこそ、

花はそこにある。

 

花が咲く瞬間に、

「あなたのおかげで咲けたのよ!ありがとう!」とか

「いま、○○さんが手塩にかけた花が開きました!」とか

アナウンスしてくれたなら、

人はもっと、花を愛するだろうか?

 

そうではないのだ。

花は、ひっそりと静かにそこに咲く。

 

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黄色いチューリップも誰かが球根を植えなければ咲かないのだ

「結果が出る」、というのは、そういうもの。

 

人知れず、こっそりと結果が出る。

 

その結果をみて、

「自分が種をまいたからだ」と

自分の心の中だけでつぶやき、

「がんばってよかったね」と

自分自身をぎゅっと抱きしめてあげたいですね。

 

そして、世界中に咲くたくさんの花たちを見て、

「ああ、誰かが人知れず世話をしてくれたんだな」

と感謝したい。

 

そのことに気がつけば、この世の中がとても良いところにみえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

「イマジネーション」がすべて

「烈車戦隊トッキュウジャー」が大好きです。

これは、2014年2月16日から2015年2月15日までテレビ朝日系列で毎週日曜7:30 - 8:00(JST) に放送された、特撮テレビドラマ。

 

 

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なんと、主人公全員が、子ども!そして、記憶喪失!!

記憶をなくした子どもたちが、大人の姿になって烈車に放り込まれ、

気がついたら敵と戦っている、という摩訶不思議なストーリー。

 

でも、小林靖子先生の脚本は、ひとりひとりのキャラクターを深く作り込み、

敵キャラクターもみんな魅力的で、

途中からグリッタ嬢のシュヴァルツ将軍への切ない想いはどうなるのだろう?とハラハラしてしまうくらい。

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可愛いグリッタ嬢!

子どもたちと一緒に見ていて、途中から親だけが深くハマっていきまして…。

いまでも何回もDVD見てしまう!

もう、オープニングのイントロを聞いただけで泣けてきます!

 

トッキュウジャーが、貫いているテーマは

「勝利のイマジネーション」。

 

関根勤さんが演じる車掌さんが

「イマジネーーーイショーーン!」

と叫ぶシーンが印象的です。

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関根勤のイマジネーション!

 

この「イマジネーション」という言葉、「創造力」とも「想像力」ともいいますが、

「自分がなりたい未来をイメージする力」という感じでしょうか。

 

人生経験を重ねれば重ねるほど、

この「イマジネーション=自分がなりたい未来をイメージする力」があることの大切さがわかってきます。

 

イマジネーションがないと、自分がいまこれから、どう動いていいかもわかりません。

そう、まさに、戦えないんです。

 

でも、「自分がこうなりたい!」というイマジネーションをもつだけで、

人は動くことができるんです。

  

ほんのちょっと先に、なにをするか、なにを食べるか、なにを選ぶか、だれの話を聞いて何を勉強すればいいのか。

それはあなたの「イマジネーション」次第。

 

私が今、ここにいるのも、こうやって文章を書いていたりするのも、過去の私がイメージした私自身であり、

 そして、今あなたがいる場所こそが、ちょっと前のあなたがイメージした、あなた自身なんです。

 

そして、人と出会ったときにその人との「イマジネーション」の共通点が見つかることこそ幸せなことはありません。

 

たぶん、あなたが抱えている凸凹があったとしても、「イマジネーション」さえあれば乗り越えられる。

 

トッキュウ5号の決めゼリフ、知っていますか?

「そう、私は強い、強い、強い!」

そのイマジネーションだけで、どんどん敵を倒していくんです。

 

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トッキュウ5号はイマジネーション力が高い!

 

「そう、あなたは強い、強い、強い!!」

そうイメージして、どんどん自分の前の壁を壊していきましょう!

 

 

 

 

因数分解って、なんで勉強しなきゃいけないの?

因数分解」、できますか?

 

中学生の数学のメインイベント、ですよね!

これが好きか嫌いかで、数学が好きか嫌いかが決まるくらいの。

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因数分解の式

ちなみに、「因数」というのは、最小限度の記号ということで、

「分解」というのは、とある式を「積=掛け算」として表現すること。

 

ようするに、

「足し算や引き算で複雑に見える式を、掛け算にしてまとめて簡単にしちゃおう」

ってことなんです!

 

で、これ、なんの意味があるの?

と多くの方が思いますよね。

私もそう思っていました。

ある日、ふと、この毎日の暮らしも「因数分解」しちゃえばいいんじゃない?

って気がつきました!

 

たとえば、一日のうちでやらなきゃいけないことを列挙するとこうなりますね

「起きる+着替える+ご飯したく+ご飯を食べる+仕事に行く+仕事をする+家に帰る+ご飯をつくる+ご飯を食べる+テレビを見る+本を読む+友達とラインする+着替える+寝る」

こんな感じ。

 

このうちの共通項をならべて掛け算にすると

(自分の身支度)×{家事)×(通勤)×(仕事)×(趣味)×(コミュニケーション)

というふうにシンプルにできるわけです。

 

こうやって、一見複雑そうにみえることを、自分なりに分解してまとめて掛け算にして、シンプルにできる力があると、

いろんなところで役に立ちます。

 

因数分解もやればやるほど楽しくなってくるように、

人生も複雑な問題ほどシンプルにできると気持ちいいものです!

要素がふえると、まとめやすくもなるので、そこも面白い。

 

なにか問題があったときは、まず「因数分解できないかな?」って考えてみましょう!

 

人生のストライクは難しい

ボウリング、やったことありますか?

 

そうそう、10本のピンを重い球をなげて倒す、アレです。

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人生のストライクは難しい

やってみると、意外と難しい〜!

まっすぐ投げたつもりの球は思い通りに行かず、

右にフラフラ、左にフラフラ。

いいところで曲がったり、いいところで曲がらなかったり。

 

でも、たまーに「パッカーン」とストライクが出ることがあり、

その快感がたまらないんですよね。

 

そして理論上は

ストライクを出したときの自分の体の動きを記憶して、

毎回同じ動きをすれば、毎回ストライクの「はず」、なんです。

 

これがまた、なぜできない???

 

あのときはこういうふうにボールをもって、

これくらいふりあげて、コースはあれくらいで…

 

というのを頭の中で繰り返してそれを再現しようとする。

再現したつもりだけど、やっぱり球はそれてしまい、

そこを微調整して…

というのを繰り返して、

最後に「なにも考えない」という状態になったときに、

また不思議と「パッカーン」とストライクが出る。

 

人生も、こういう感じ。

 

たとえば、あなたがコミュニケーションが苦手だったとしても、

ふとしたときに、「友達とうまく話せた!」という瞬間があるはず。

このときのことを思い出して、シミュレーションして、

もう一回やってみたら、またうまくいくかもしれない。

それがもしダメだったら、「どうしてダメだったのか」考えてみる。

 

声のかけかたが悪かった?

話した内容が悪かった?

そもそも話しかけた相手が悪かった?

 

そういうことを繰り返していくうちに、ふと無心で話してるときに

「パッカーン」とうまくいく。

 

人生のストライクはそう簡単には出ない。

それをコンスタントに出せるようになるには、

「イメージ」と「シミュレーション」と「繰り返し」

が大事なんですよね。