「あした、○時に来るのー?ちゃんときてよね!」
なーんて言い方をしたときに、
「なんだと、俺を疑うのか?」
と逆ギレする人っていますよね。
そういうふうに逆ギレする人って、だいたい心にやましいことがあったりする人です(笑)
そう、「信じる」の反対が「疑う」と思っている人なのです。
でも実は、
「疑う」というのが生き物のデフォルト(基本設定)
ではないでしょうか?
もし、あなたが森の中で道に迷ったとします。
そのときに、ガサガサっと音がしたら「なにか怖い生き物かも?」とまず疑いますよね。
そして、それが怖い生き物ではなくて、人だったとしたら、
まずはその人をじっと観察します。
「変な人ではないだろうか?」「人さらい?もしくは逃亡犯かも?」
といろいろ疑いをめぐらせますね。
もし、きちんとパトロールの服装をしていて、「おーい」と声をだしていたら、
「あ、もしかして自分を探しに来た人かも?」
と気がついて、
ようやく「ここだよ」と声をあげることができる。
「信じる」までに、ちょっとの時間差があるんですよね。
そう、生き物の本能として、「疑う」が根っこにあるわけで。
その「疑う」気持ちを根っこに持ちながら、
たくさんの情報を集め、その相手と気長に対話をしながら、
はじめて、「信じる」か「信じない」かを決める。
そう、「信じる」の反対は、「信じない」。
疑って、情報を集めた結果、
あなたには、「信じない」という自由もあるんです。
一方で、もし、あなたが大海原でひとり、漂流していたとします。
そしたら、そこに船が通りかかったら、
「怪しい人かも?」
「もしかして海賊かも?」
と疑う余裕もなく、
「おーーいここだよーー!助けてくれーー!」
と声を出すことでしょう。
そしていざ助かったときに、多少のお金を要求されたとしても
「命の値段には替えられない」
とその恩人にお金をたくさん払うでしょう。
そういう場合は、「信じる」という選択肢しか、目の前にないからです。
オレオレ詐欺などで、お年寄りが簡単にだまされてしまうのも、
きっと、大海原にひとりぼっちでいるように孤独だからなんですよね。
だから「疑う」という大事な根っこを忘れてしまう。
大事なことは、
「疑うことができる」という心のゆとりを
しっかり持つことだと思います。
そして、「疑うことが悪い」と思い込んでしまうと
とたんにこの世界で生きづらくなります。
疑うことは悪いことではない。
「疑うこと」が人間の基本であるからです。
…そして、逆に。
「人に疑われた」と感じた時は、なにか自分の側にも情報不足だったことがあるのではないか?
野良猫の可愛い子猫がいて、手なづけようとするときも、
まずはものすごく遠くにミルクを置いて、
それを少しずつ近づけて「なにも悪いことしないんだよ」と信じてもらってから、
ようやく触ることができる。
いきなり追いかけたりすると、必ず逃げられます(苦笑)
いきなり追いかけたりすると、必ず逃げられます(苦笑)
そういうふうに、相手と向き合ってしっかり対話をかさね、信頼関係をもっていくこと。これしかありません。
「疑う」の先にあることこそが、「信頼」なんですよね。
最初は「疑い」からスタートしたとしても、
少しずつ、少しずつ、お互いに「信頼」できる関係をつくれる仲間が増えてくると、
この世界は、とっても楽しいところになるはずです。